大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 平成4年(ワ)572号 判決

原告

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

五十嵐庸晏

右訴訟代理人弁護士

鳴戸大二

被告

財団法人国民休暇村協会

右代表者理事

首尾木一

右訴訟代理人弁護士

宮川光治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金六五〇〇万円及びこれに対する平成四年七月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、パラグライダースクールにおけるフライト練習中に発生した墜落事故につき、インストラクターに代わって被害者に示談金を支払った保険会社が、右スクールを主催した施設を管理する財団法人に対し、同法人は安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務を負っているとして、右示談金について求償を行う事案である。

二  争いのない事実等

1  原告は損害保険を業とする会社であり、被告は国民休暇村の運営を目的とする財団法人である。

2  被告は、その経営管理にかかる広島県比婆郡比和町森脇所在の吾妻山国民休暇村において、吾妻山を講習場所とし、参加費用を一人一万二〇〇〇円とするパラグライダースクール(以下「本件スクール」という。)の開催を計画し、そのための参加者を募集した。

3  本件スクールは、被告主催により昭和六三年九月一四日と一五日に開催された。なお、本件スクールの行事予定は、同月一四日の午後四時に集合し、当日講習と実技練習を行い、翌一五日にフライト練習を行い、当日の午後三時に現地解散ということになっていた。被告の担当者は、これらの日程及び講習場所を決定し、当日の講習会にも立ち会った。

4  訴外谷桂子(以下「谷」という。)は、同月一四日午後七時ころ吾妻山国民休暇村に到着し、本件スクールに途中から参加した。谷は、翌一五日のフライト練習に参加し、いずれも専門的な資格を有するインストラクターである訴外松村允雄、同木島到、同河合良樹、同高橋邦明(以下「松村ら」という。)の指導でフライト練習を行ったが、飛行中に落下し(以下「本件事故」という。)、第一腰椎粉砕骨折、腰仙髄損傷の傷害を負った。

5  松村らは谷との間で、平成三年七月三一日、本件事故に伴う一切の損害賠償として六五〇〇万円の支払義務があることを認める旨の示談契約(以下「本件示談契約」という。)を成立させ、原告は谷に対し、松村らを被保険者とする保険契約に基づき、右示談金を支払った(甲二、四ないし八)。

三  争点

1  本件事故につき被告に安全配慮義務違反があったか。

(原告の主張)

(一) 本件スクールへの参加は被告との宿泊契約と一体となっており、被告は宿泊契約と一体のものとして、谷との間でパラグライダーの講習に関する契約を締結したことになるが、パラグライダーは危険性を内包するスポーツであるから、被告は、右契約に基づき、谷に対する安全配慮義務を負ったものというべきである。そして、松村らは、被告からの依頼により本件スクールのインストラクターとして指導に当たっていたものであり、被告の安全配慮義務の履行補助者というべきである。

(二) 本件事故は、被告または松村らの次のような安全配慮義務違反により発生したものである。

(1) テイクオフに必要な斜度を有しない場所を選定し、マンパワートーイングをせざるを得なかった。

(2) 風速が強く、風向きが不安定で、初心者にとって危険な状態であったのにフライト練習を強行した。

(3) 谷に対し、事前に注意事項を記載した資料を渡さず、予定された講習を受けさせなかった。

(4) 参加者が傷害を負った場合を想定して傷害保険に加入しておくべきであったのに、そうしなかった。

(被告の主張)

(一) 松村らは広島パラグライダークラブのインストラクターであり、谷はその会員であったから、谷に対して直接に安全配慮義務を負うのは松村らであって被告ではない。

(二) フライト練習の行われた場所は危険な場所ではなく、風の状態も問題はなかった。また、谷は既にパラグライダーによる飛行経験があったのだから、途中から参加したとしても、被告においてフライト練習への参加を抑止すべき義務があるとはいえない。また、安全配慮義務と傷害保険に加入することとは無関係である。したがって、被告に安全配慮義務はない。

(三) 本件事故状況からすれば、本件事故は谷の操作ミスによって生じたものであり、松村らに過失はなかったというべきである。仮に、松村らに過失があるとしても、松村ら個人が責任を負うべきもので、被告に安全配慮義務違反はないというべきである。

2  被告は松村らの損害賠償義務を免責的に引き受けたか。

(原告の主張)

被告は松村らに対し、傷害保険に加入しているから迷惑はかけない旨申し入れていた。また、松村らは、本件スクールにインストラクターとして協力したものの、被告から対価を得てはいない。これらのことからすれば、被告は松村らに対し、本件スクールの参加者の受けた傷害については、その損害賠償義務を免責的に引き受けることを約したものというべきである。

3  原告が被告に対し求償権ないし損害賠償請求権を有するか。

(原告の主張)

(一) 原告は谷に対し、松村らに代わって示談金六五〇〇万円を支払ったから、谷の被告に対する損害賠償請求権を保険代位により取得した。

(二) 松村らは被告に対し、民法七一五条三項の趣旨により求償することができるところ、原告は右示談金の支払により、松村らの求償権を保険代位により取得した。

(三) 谷は原告に対し、本件示談を行う際、被告に対する損害賠償請求権を譲渡した。

(被告の主張)

(一) 原告が谷の損害賠償請求権を保険代位により取得することはおよそあり得ないはずである。

(二) 被告に過失はなく、松村らは独立の不法行為責任を負ったものであるから、松村らは被告に求償できないというべきである。

(三) 谷の松村らに対する損害賠償請求権は本件示談金の支払によって消滅している。

4  谷の損害額はいくらか。

(原告の主張)

(一) 傷害に伴う損害金 一〇〇四万九三七八円

(1) 治療費

庄原日赤病院 八二万四八七〇円

国立別府重度障害者センター 四四万四六〇〇円

(2) 看護費 六〇万円(五〇〇〇円×一二〇日)

(3) 入院雑費 四八万七二〇〇円(七〇〇円×六九六日)

(4) 休業損害 五六九万二七〇八円

(5) 慰謝料 二〇〇万円

(二) 後遺障害(労災第一級八号相当)に伴う損害 八二六六万二一八五円

(1) 慰謝料 一四〇〇万円

(2) 逸失利益 六四一六万二一八五円

(3) 家屋改造費 四五〇万円

(三) 過失相殺(三割) △二七八一万三四六八円

(被告の主張)

谷には稼働能力は相当程度あり、事故前と比べて収入にさしたる変化もないと考えられるから、逸失利益に限っても、原告主張の金額をかなり下回るものというべきである。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲一、三、乙一ないし三、証人松村允雄、同小林豊、同谷桂子、同高橋邦明)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件スクールは、当時被告の広島案内所の営業主任であった訴外小林豊(以下「小林」という。)が企画したものであった。小林は、企画した当時はパラグライダーの経験がなかったため、スクールで講習を受けて実際にフライトをし、松村らが所属する広島パラグライダークラブに協力を依頼して了承を得た上で、本件スクールを開催することとした。

(二) 本件スクールの開催場所及び日程は小林が設定したが、松村らから特段の疑問は出されなかった。松村らは、参加者の指導に当たるとともに、機材等を提供し、それに対して被告から謝金として一人当たり五〇〇〇円が本件スクール終了後に支払われた。なお、小林は松村らに対し、被告が施設賠償責任保険に加入しているほか、参加者から保険料を徴収し、掛け捨ての傷害保険契約をすることを検討している旨説明した。また、本件スクールのパンフレットには、参加費の中に保険料が含まれる旨表示されている。もっとも、傷害保険については、被告の方で農協や保険会社に打診したが、参加費用で賄える保険料で引き受けるところはなく、結局、そのような保険契約はなされなかったものである。

(三) 谷は、松村を通じて本件スクールの参加申込をし、途中から参加したため、講習と実技訓練の一部を受講できなかった。しかし、谷は、以前に広島パラグライダークラブの講習を受けており、パラグライダーの操作方法については一応の理解を有しており、当日参加者に配付されたパンフレット(パラグライダーの構造と操作方法を説明したもの)も、以前に受けた講習の際に受け取っていた。また、講習の一部を省略することについては、松村らも知っていたが、この点が特に問題になることはなかった。

(四) 当日のフライト練習は、午前九時ころから開始し、天然芝の生えたなだらかな山の斜面を利用して行われた。右場所を選定するについては、当日の早朝、小林が松村らを現地に案内した上で決定したが、右場所の選定について松村らから特に危険であるとの指摘を受けることはなかった。当日の天候は晴れであり、風速は五メートル程度あったが、初心者にとってやや風が強いと思われたのと、斜面の傾斜が緩くて自力で浮上することが難しいと思われたため、斜面の下からロープを使って人力で引き揚げる方法(マンパワートーイング)を取ることにした。なお、松村らは、一か月ほど前にも、風速一〇メートルの下で全くの素人をマンパワートーイングによって飛ばせたことがあり、当日も特に危険を感じることはなく、フライト練習を実施するについて誰からも異議が出なかった。

(五) 谷は五番目にフライトを行ったが、その前の四名はいずれも問題なくフライトを完了した。谷は、浮上した後、やや流されたようになり、しばらく飛んでから、通常より早い速度で着地した。もっとも、松村らは、谷の着地について事故等の異常が発生したとは感じておらず、直ちに駆け寄る者はいなかった。谷が負傷したことが分かった後、松村らは小林に対し、パラグライダーの操作を誤ったために起きた事故(流された方向と反対のコードを引くべきところ、逆のコードを引いてしまったために失速して墜落した。)ではないかと思われるとの説明をした。

2 ところで、安全配慮義務とは、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務であって、その内容は、当該法律関係の性質、当事者の地位及び安全配慮義務が問題となる具体的状況によって決せられるべきものである。

谷と被告との法律関係は、宿泊契約及び施設利用契約であって、本件スクールへの参加はその一部をなすものであるところ、かような契約関係における施設の管理者は、施設の人的・物的設備の運営に伴う危険を防止し、右危険に起因する事故によって、宿泊者等の生命・身体に危害の及ぶことのないよう万全の管理を行うべき義務を負う(具体的には、無理のない日程を組み、フライトについては危険性のない場所・時間帯を設定し、資格のあるインストラクターを配置し、事前に講習を行う等の配慮を行うべきである。)ものというべきであるが、右のような管理の及ばない事故、もしくは、それとは無関係に生じた事故についてまで安全配慮義務違反を問われることはないものというべきである。また、パラグライダーのような危険を伴うスポーツについては、もともと参加者自身において、適切な訓練を受け、インストラクターの指示に従い、自己の技量にかなった方法で行うべきものであり、それでも避け得ない事故については、本来自己責任に委ねられるべきものというべきである。

3 この点につき、原告が被告の安全配慮義務違反として主張するのは、①フライト練習をする場所及びその方法が不適切であったこと、②初心者にとって危険な状態でフライト練習を強行したこと、③谷に事前に十分な講習を施さなかったこと、④傷害保険に加入しなかったこと、以上の点である。

しかしながら、前記のとおり、練習の場所及び方法、当時の風の状況について、それが特に危険性を有するものであったとは認め難く(却って、マンパワートーイングの方法を選択したことは、危険性を低くするものであるといえる。)、しかも、本件事故の発生状況からすると、その原因が右のような施設の状況に基づくものであるとも断定し難いものがある(谷自身の操作ミスに起因する可能性は否定できない。)上、インストラクターである松村らは、いずれも、場所・風の状況とも問題ないとの認識を有しており、被告の担当者である小林も、それにしたがって、練習の実施を松村らに任せたのであって、これについて被告の安全配慮義務違反を認めることはできないというべきである。パラグライダーというスポーツの特殊性からして、インストラクターがその専門的な知識・経験によって参加者のフライト練習を安全に実施すべく周到な配慮をするであろうこと、また、参加者も最終的には自分の安全は自分で守るほかないとの自覚をもって対処するであろうことは、特段の事情のない限り、一応信頼してよいことであり、施設管理者である被告において、そのような信頼を前提として具体的な実行を任せることは許されるものというべきであって、本件事故について、仮に松村らに過失があったとしても、それは、被告の管理権とは無関係に生じたものであり、直ちに被告の安全配慮義務違反があったとはなし得ないものというべきである。

また、谷が前日の講習の一部を受けなかったことについては、同人は既にパラグライダーについての講習を受けており、その知識・経験を有しているものである上、この点についても、被告としては、講習の時間・場所を設定した以上、それを受講すべきか否かについては、谷自身の自覚ないしは松村らインストラクターの判断に委ねざるを得ないのであって(谷が松村の紹介で途中参加となった経緯からすれば尚更である。)、この点を捉えて被告の安全配慮義務違反とすることもできないというべきである。

なお、原告は、被告が傷害保険に加入しなかったことが安全配慮義務違反になるとするが、その根拠は明らかでない。本件スクールの参加者のために傷害保険契約を代行してやることは、事故が起こった際の損害の補填という意味では参加者の利益になることではあるが、そのこと自体は参加者の安全を確保すべき義務とはかかわりのないことであるというほかない。

二  争点2について

被告と松村らとの間で、本件スクールにおいて参加者に生ずべき損害についての賠償義務を免責的に引き受けるとの契約がなされたと認めるに足りる証拠はない。松村らの謝金がわずかであること、小林が傷害保険に加入する可能性に言及したこと、参加費用に保険料が含まれるとの表示のなされていることは事実であるが、だからといって、そのような債務引受がなされたと認めることはできないというほかない。

三  争点3について

原告が被告に求償権ないし譲り受けにかかる損害賠償請求権を行使するためには、被告が谷に対して損害賠償義務を負っていなければならないものであるところ、被告はそのような義務を負わないのであるから、原告の請求はその前提を欠くものというべきである。また、松村らが被告の履行補助者であるとしても、本件事故は被告の安全配慮義務の不履行により生じたのではなく、松村らの独立の不法行為に起因するものであるから、民法七一五条三項に準じて松村らが被告に求償権を有するものでもないというべきである。

第四  結語

よって、その余の争点につき判断するまでもなく、本訴請求は理由のないことに帰する。

(裁判官喜多村勝德)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例